御殿場 かつまたファーム
匠、旬味、本物主義

私達はトマトを作る。私達は農業者であり、農業とはものづくりだと考えている。ものづくりに魂と創造性を込めるということは日本人が気質として得意としてきたことである。
過ぎ去りし平成の30年間。農業者はメディアや行政により、その心の拠り所の放棄を迫られ、自信を喪失し続けてきた。露地農業はアメリカに面積規模において劣り、施設園芸は西欧に環境制御やマニュアル化において劣り、要するに合理性において他の先進国に劣り、結果収益性、持続性に劣る、と。日本の農業は変わらないとダメだ、と。

しかし私は全くそう感じないし、考えない。
日本人のものづくり、「匠」という職能は、世界という舞台で十二分に通用する、日本人の誇るべきスキルだと考える。匠、職人、町工場。連綿と受け継がれたものづくりのDNA。どれもが素晴らしく、根本の部分で非常にアーティスティックだと思う。とは言え、私達はそれらの職能を、21世紀の拡大した商世界において収益性と結びつけるには適応が遅れたとは、正直思う。
「匠」のものづくりとしての農業を、21世紀に適応する形へ再構築する。
それが私の一生の仕事だと思う。一生の仕事にしたいと思う。

さて、ものづくりの中でも農業が特異なのは季節や天候の影響が「極端に」大きいことだろう。当たり前のように夏は暑く、冬は寒い。両者を繋ぐ春と秋も、単なる繋ぎではなく、それぞれ個性的な彩りを持つ。
降れば潤い、照れば乾く。吹けば飛ぶし、凪げば淀む。
野菜達は季節の中で種を蒔かれ、芽を出し、育ち、そして実る。だからこそ愛おしいまでの「旬味」を身にまとう。野菜は移ろう季節の中で、その瞬間にしか100パーセントの旨さを発揮できない、「旬味」は、まさに再現不可の一期一会だ。真冬のトマトを夏に食べても旨くなく、真夏のトマトを冬に食べても、ピントがボケている。変わりゆく季節と変わりゆく味わいがある。そして人の体そのものが、季節に沿って求める味わいを変えてゆくのだ。 だから、農業は、農作物は、工業製品のような通年均一の品質(食味において)を求めなくて良い。ただし、「旬味」を極上に仕立てるには高度な技能を要する。技に劣れば旬でも味を貶めることは容易だ。 個が持ちうる技能を極限まで高め、魂と創造性を込める「匠」。「匠」の技と「旬味」が交わったところに「本物」が生まれる。

かつまたファームのものづくりは「本物主義」を貫きたい。
私が、私達が畑と土に求めているのは、マニュアル化された工業製品ではない。
匠の技と魂が鍛えた「業物」なのだ。 「本物」をお客様に届けたい。
そして、食べた人の心の中に「本物」として焼き付くようでありたい。
だから、妥協なんて一切ない。

ただひたすらに、「本物」と呼ぶにふさわしいトマトを作りたい。
それが私達が目指すものづくり。私達が目指す農業。